今日10月29日のよき日
午前10:00より福岡県立太宰府高等学校の
二十周年記念式典が行われました。
定刻になって
幕が上がり、ステージが見えたとき
私は、特別な感慨をもって
見つめていました。
昨年の10月29日の
まさに同じ時刻に
私のための離任式が執り行われ、
全校生徒が集まってくれたのです。
昨年は紹介をしてくださった校長先生と
私の2人だけが上がったステージに、
今日は、校長先生をはじめ
来賓の方々を合わせて7名の方が
上がってありました。
半ばあきらめていた式典に参加でき、
一年前のことが
まるで昨日のことだったように
思い出せました。
私の離任式での挨拶です。
--------------------------------------------------
みなさん。おはようございます。
今日は私のために貴重な時間を割いてご挨拶の機会を
いただくことができ、大変ありがたく思っています。
思い起こせば12年前、
太宰府高校に赴任することが決まった日、
私はこっそりと学校を見に来ました。
宝満山の懐に抱かれた素晴らしい自然環境
美しい白亜の校舎、そして公園のような中庭
私はこの学校にひとめぼれしました。
大好きになりました。
そんな好きな学校に
これほど長く勤めることができて、
私は幸せ者だったなあと思います。
来年2年生と3年生になる生徒のみなさんが使う
生物の教科書には、
愛する学校の名前と一緒に私の名前が載っています。
私がこの学校に存在した証を
確かな形で残すことができて、
嬉しくまた誇りに思います。
私の一番の思い出は
みなさんとともに過ごした授業の時間です。
私は授業が楽しみでした。
私は常々ノート作りの大切さを訴えてきました。
ノートは教師と生徒の共同作業です。
どちらか一方でも怠けるといいノートは作れません。
私は、一言一言真心を込めて話をし、
文字の1つ1つ、図の1つ1つを
真心を込めて黒板に書きました。
生徒のみなさんは、
そんな私の思いにしっかり応えてくれました。
私はノート検査が楽しみでした。
いずれ私が見る日のことを考えて、
多くの生徒さんが
「先生、あのね、これがね・・」って
私への呼び掛けを書いてくれていました。
私にはそれが何より嬉しかったです。
1年生のみなさん、
いよいよ総合学習のクライマックスである
校外学習を目前にして、
それを見届けられないのが残念でたまりません。
冊子ができあがったらぜひ見させていただきます。
最後までしっかり頑張ってくださいね。
2年生のみなさん、
授業を途中で放り出すという
無責任な形になってしまい、
本当に申し訳なく思っています。
今までの調子で最後まで頑張って下さいね。
3年生のみなさん、
みなさんの夢を叶えるお手伝いを
もっともっとしてあげたかった。
もう私にできることは
明日の土曜セミナーを残すだけになりました。
名残りは尽きませんが、
これで、太宰府高校と
生徒の皆さんにお別れを告げます。
「さようなら」
--------------------------------------------------
原稿を作っていたわけではありません。
私は、これまで
数多くの発表や挨拶をしてきましたが、
原稿を読み上げたことは一度もありません。
もとより、原稿を前もって作るといったこと自体
苦手でもあるからなのですが(笑)。
離任式の一週間前22日に
突然の内示を受けて以来、
夜寝る時にずっとずっと考え続けた
お別れの言葉だからこそ
今も鮮明に頭の中に残っているのです。
今日の式典の最後に校歌斉唱がありました。
私は11年7ヶ月間の
万感の思いを込めて
目を閉じ、歌わせていただきました。
歌詞もしっかりと
自分のものになっています。
一年生の担任をした年、
幾度クラスの生徒に
歌って聞かせたことでしょう。
歴代の音楽の先生が
生徒に校歌指導をされた際の
注意事項もきちんと頭に入っています。
校歌の作詞者は、
初代校長の久保田昌秀先生です。
今日、十周年の時以来
十年ぶりにお越しになり、
記念祝賀会の方で
元気に挨拶をされました。
ブラスバンドの演奏に合わせて
生徒たちが声高らかに
校歌を歌う姿を見て
涙が出てきたとおっしゃっていました。
式典の校長先生の式辞の中でも
校歌の内容に触れてありました。
太宰府高校の校訓は
「進取 親愛 至誠」
「世の役に立つ人間(ひと)たれ」
です。
久保田先生の作られた詞の中に
この校訓が見事に歌い込まれているのです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
福岡県立太宰府高等学校 校歌
作詞 久保田昌秀 作曲 安永武一郎
一.紫けむる 筑紫野の
梅の香薫る 歴史(ふみ)の里
進取の気概 公然と
世界にはばたく若人が
集いて学ぶ わが母校
宰高 宰高 太宰府高校
二.緑したたる 宮の森
樹齢(とし)を重ねし 大樟の
至誠の精神(こころ) 修めつつ
新しき世の礎を
励みて築く わが母校
宰高 宰高 太宰府高校
三.清きせせらぎ 御笠川
久遠の流れ とうとうと
親愛の情 胸に秘め
世の役に立つ人間(ひと)たれと
努めてやまぬ わが母校
宰高 宰高 太宰府高校
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
私が教師に成り立ての頃
所属する教職員団体の先輩から教えられ、
以後ずっと心に抱き続けた言葉が
「勤務校は第二の母校」です。
私の実の母校は、
先日、2周年記念でもあった
第11回福岡地区教科「情報」授業研究会の
会場校修猷館高等学校です。
昭和60年に、私が教育実習で訪れた時
二百年記念行事が行われている
まさに、その真っ最中でした。
記念式典にも
参加させていただくことができましたし、
教育実習の期間中に実施された
二百年記念の文化祭にも
生徒と一緒に取り組みました。
確か修猷館は、名前が変わらず続いている
高等学校としては
日本最古ではなかったかと思います。
初代の修猷館館長は、竹田定良という方です。
以後第6代目までは
竹田家が代々館長を務めたと伺っています。
私の妻は、実は竹田定良さんの直系の子孫です。
妻のご両親は、私が参加した
二百年記念式典にも初代館長家の子孫として
招待されていたそうです。
このように、母校とも
不思議な縁でつながっている私です。
再び太宰府高校の話に戻りますと、
実は、太宰府高校が開校した
昭和61年4月という時期は、
私が大学を卒業し、
常勤講師として
城南高等学校の教壇に
教師として初めて立った時でもあったのです。
つまり、太宰府高校と教師としての私は、
まったく同じ二十年の歩みを
送ってきたということです。
城南高等学校に12月まで勤めた後、
1月から3月までは
これまたなつかしい筑前高等学校に勤務し、
4月に晴れて教諭として
嘉穂東高等学校に赴任し、
平成5年3月まで6年間勤務というのが、
太宰府に至るまでの私の経歴です。
すなわち、現在の嘉穂総合高等学校は、
私にとって通算5校目
新規採用後では3校目の学校ということになります。
私が生物の教師として
嘉穂東高等学校から転勤した時、
前任の生物の先生は、
修猷館時代の恩師だったのです。
定年退職された後釜が私でした。
今日、実に久しぶりに
その恩師ともお会いできました。
私が在学中、教官室に勉強を習いに行くと、
よく理科部会の仕事をなさってありました。
その先生は、当時理科部会の
特に生物科における中心的存在だったのです。
今、私が情報科部会の事務局長として
仕事をしている時に
思いがけずお会いできて、
幾多の困難にも立ち向かおうという
新たな勇気を頂けたように思っています。
修猷館・城南・筑前・嘉穂東
そして太宰府
それぞれに思いはありますが、
どこもまぎれもなく私の“母校”です。
ますますの発展を心から祈っています。
そして今、
嘉穂総合に迎えられて
早1年
“母校”と思わばこそ
どんなに忙しくても
学校の広告塔として
中学校に招かれたり、
こちらから訪ねたりして
どうか来て欲しいという思いを
生徒さんたちに伝えているのです。
修猷館の先輩でもある
太宰府高校の学校長が
本日の式辞の中で
これからわが国に求められるのは、
人と人
人と自然
人と万物
の間のオールマイティーな絆を作ることだと
述べられました。
一つひとつの出会いに感謝し、
つねに心をこめて
仕事に当たっていこうという
思いを新たにさせられた一日でした。
最近のコメント