学校行事

ポスター制作(情報学科の道とは?)

文化祭に対する取り組みとして、
今週から午後2時間を
課題学習として充てています。

ITシステム科の生徒は、
4つの班に分かれて
「情報と表現」の授業や
ワープロ検定の練習でなじみ深い
Microsoft Wordを用いて
ポスターおよびチラシの
制作を行うことにしています。

まず今日は、昨年の文化祭の写真に
嘉穂中央・嘉穂総合両校の校章などを
上手に組み合わせて制作に励み、
各班1~3種類のポスターを
作り上げました。

カレンダー用に使う
特A3サイズで印刷したものを
地元嘉飯山地区の高等学校や
生徒の出身中学
それに地域の商店などに
渡して貼ってもらうのです。

嘉穂総合という新設校が誕生し、
なおかつ福岡県初の情報専門学科である
ITシステム科が存在するということを
地域の方にPRできるといいと思います。

全国専門学科情報科研究協議会における発表で、
秋田県立仁賀保高等学校が
地域の花火大会のポスターを制作することで
情報学科をPRしているという報告を
してありました。

情報専門学科の行くべき道の1つとして
地域に根ざした活動が有効という
大きなヒントをいただけたと思っています。

ポスターの次はチラシです。
嘉穂中央・嘉穂総合両校の
各学科、部活動を取材し
発表内容を紹介するのです。

「情報と表現」の授業で取り上げた
ディジタルカメラおよびイメージスキャナの
使い方を実践する場としても
位置づけています。
座学で身につけた知識を
実践の中でさらに深め、
情報活用能力を高めて欲しいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

祝 創立(赴任)一周年

今日は、嘉穂総合高等学校の
創立一周年式典が行われました。
私にとっても、赴任して一周年になります。
初日から校名披露式典
や再編整備関係の重要な会議に出席したり、
午後は記念祝賀会に出たりして、
ものすごく忙しかったことをおぼえています。

片道40kmの往復と、
授業ももたず、開校準備の仕事や
中学校訪問等に専念する毎日に、
不安を抱えてのスタートでもありました。

4月からは授業も受け持ったり、
学科主任として
生徒や保護者に対したりしながら、
準備室時代の仕事も
依然色濃く残っている中で、
悪戦苦闘しながら今日、
一周年を迎えました。

午後は、中学生の体験入学を実施し、
当日は学科ごとの催しを主に担当しました。
昨年度は、いまだ現役で稼働していた
PC9801機を使用して、
N88BASIC上で動く人文字作成ソフトを
使ってもらうという取り組みをしました。
4学科中、体験活動を実施したのは、
唯一ITシステム科だけでした。

今年度は、
他学科もいろいろ趣向を凝らして、
中学生に実習内容等を体験してもらうための
企画を用意したようです。
ITに関しては、
個別に体験入学に訪れた3校の生徒さんが行った、
グループウェア体験ではなく、
システム・マルチメディア両専攻の学習内容を
先取りしたものにしたいと考え、
結果的に昨年度と同様、
自作の人文字作成ソフトによる
人文字作りやその印刷等を
体験してもらうことにしました。

昨年度と違い、入っている機材は
最新鋭のPentium4機ですので、
Windows上で使用できるように
改造したバージョンを用いました。

N88互換BBASIC for Windows95
というソフトウェアをインストールし、
その上で動作するアプリケーションとして
使用するのです。

日頃ITシステム科が使用する
パソコン教室は
瞬快という復元ソフトが導入されており、
インストールしたソフトが
再起動されると消えてしまうので、
前の晩から起動したままの状態で、
中学生を迎えました。

生徒37名と保護者3名の合計40名が
ITシステムの体験に参加して下さり、
思い思いに人文字を作って、
自分の作品を印刷し、
喜んで持ち帰っていただきました。

全体の準備に追われ、
自転車操業的に
自分の学科の準備をした割には、
何とかうまくいったようで安心しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

“母校”への尽きぬ想い

今日10月29日のよき日
午前10:00より福岡県立太宰府高等学校の
二十周年記念式典が行われました。

定刻になって
幕が上がり、ステージが見えたとき
私は、特別な感慨をもって
見つめていました。

昨年の10月29日の
まさに同じ時刻に
私のための離任式が執り行われ、
全校生徒が集まってくれたのです。
昨年は紹介をしてくださった校長先生と
私の2人だけが上がったステージに、
今日は、校長先生をはじめ
来賓の方々を合わせて7名の方が
上がってありました。

半ばあきらめていた式典に参加でき、
一年前のことが
まるで昨日のことだったように
思い出せました。

私の離任式での挨拶です。

--------------------------------------------------
みなさん。おはようございます。
今日は私のために貴重な時間を割いてご挨拶の機会を
いただくことができ、大変ありがたく思っています。

思い起こせば12年前、
太宰府高校に赴任することが決まった日、
私はこっそりと学校を見に来ました。
宝満山の懐に抱かれた素晴らしい自然環境
美しい白亜の校舎、そして公園のような中庭
私はこの学校にひとめぼれしました。
大好きになりました。

そんな好きな学校に
これほど長く勤めることができて、
私は幸せ者だったなあと思います。
来年2年生と3年生になる生徒のみなさんが使う
生物の教科書には、
愛する学校の名前と一緒に私の名前が載っています。
私がこの学校に存在した証を
確かな形で残すことができて、
嬉しくまた誇りに思います。

私の一番の思い出は
みなさんとともに過ごした授業の時間です。
私は授業が楽しみでした。
私は常々ノート作りの大切さを訴えてきました。
ノートは教師と生徒の共同作業です。
どちらか一方でも怠けるといいノートは作れません。
私は、一言一言真心を込めて話をし、
文字の1つ1つ、図の1つ1つを
真心を込めて黒板に書きました。
生徒のみなさんは、
そんな私の思いにしっかり応えてくれました。

私はノート検査が楽しみでした。
いずれ私が見る日のことを考えて、
多くの生徒さんが
「先生、あのね、これがね・・」って
私への呼び掛けを書いてくれていました。
私にはそれが何より嬉しかったです。

1年生のみなさん、
いよいよ総合学習のクライマックスである
校外学習を目前にして、
それを見届けられないのが残念でたまりません。
冊子ができあがったらぜひ見させていただきます。
最後までしっかり頑張ってくださいね。

2年生のみなさん、
授業を途中で放り出すという
無責任な形になってしまい、
本当に申し訳なく思っています。
今までの調子で最後まで頑張って下さいね。

3年生のみなさん、
みなさんの夢を叶えるお手伝いを
もっともっとしてあげたかった。
もう私にできることは
明日の土曜セミナーを残すだけになりました。

名残りは尽きませんが、
これで、太宰府高校と
生徒の皆さんにお別れを告げます。
「さようなら」

--------------------------------------------------
原稿を作っていたわけではありません。
私は、これまで
数多くの発表や挨拶をしてきましたが、
原稿を読み上げたことは一度もありません。
もとより、原稿を前もって作るといったこと自体
苦手でもあるからなのですが(笑)。

離任式の一週間前22日に
突然の内示を受けて以来、
夜寝る時にずっとずっと考え続けた
お別れの言葉だからこそ
今も鮮明に頭の中に残っているのです。

今日の式典の最後に校歌斉唱がありました。
私は11年7ヶ月間の
万感の思いを込めて
目を閉じ、歌わせていただきました。
歌詞もしっかりと
自分のものになっています。
一年生の担任をした年、
幾度クラスの生徒に
歌って聞かせたことでしょう。
歴代の音楽の先生が
生徒に校歌指導をされた際の
注意事項もきちんと頭に入っています。

校歌の作詞者は、
初代校長の久保田昌秀先生です。
今日、十周年の時以来
十年ぶりにお越しになり、
記念祝賀会の方で
元気に挨拶をされました。
ブラスバンドの演奏に合わせて
生徒たちが声高らかに
校歌を歌う姿を見て
涙が出てきたとおっしゃっていました。

式典の校長先生の式辞の中でも
校歌の内容に触れてありました。
太宰府高校の校訓は
「進取 親愛 至誠」
「世の役に立つ人間(ひと)たれ」
です。

久保田先生の作られた詞の中に
この校訓が見事に歌い込まれているのです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

福岡県立太宰府高等学校 校歌
 作詞 久保田昌秀 作曲 安永武一郎

一.紫けむる  筑紫野の
  梅の香薫る 歴史(ふみ)の里
  進取の気概 公然と
  世界にはばたく若人が
  集いて学ぶ わが母校
  宰高 宰高 太宰府高校

二.緑したたる 宮の森
  樹齢(とし)を重ねし 大樟の
  至誠の精神(こころ) 修めつつ
  新しき世の礎を
  励みて築く わが母校
  宰高 宰高 太宰府高校

三.清きせせらぎ 御笠川
  久遠の流れ  とうとうと
  親愛の情   胸に秘め
  世の役に立つ人間(ひと)たれと
  努めてやまぬ わが母校
  宰高 宰高 太宰府高校

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

私が教師に成り立ての頃
所属する教職員団体の先輩から教えられ、
以後ずっと心に抱き続けた言葉が
「勤務校は第二の母校」です。

私の実の母校は、
先日、2周年記念でもあった
第11回福岡地区教科「情報」授業研究会の
会場校修猷館高等学校です。

昭和60年に、私が教育実習で訪れた時
二百年記念行事が行われている
まさに、その真っ最中でした。
記念式典にも
参加させていただくことができましたし、
教育実習の期間中に実施された
二百年記念の文化祭にも
生徒と一緒に取り組みました。

確か修猷館は、名前が変わらず続いている
高等学校としては
日本最古ではなかったかと思います。
初代の修猷館館長は、竹田定良という方です。
以後第6代目までは
竹田家が代々館長を務めたと伺っています。
私の妻は、実は竹田定良さんの直系の子孫です。
妻のご両親は、私が参加した
二百年記念式典にも初代館長家の子孫として
招待されていたそうです。
このように、母校とも
不思議な縁でつながっている私です。

再び太宰府高校の話に戻りますと、
実は、太宰府高校が開校した
昭和61年4月という時期は、
私が大学を卒業し、
常勤講師として
城南高等学校の教壇に
教師として初めて立った時でもあったのです。
つまり、太宰府高校と教師としての私は、
まったく同じ二十年の歩みを
送ってきたということです。

城南高等学校に12月まで勤めた後、
1月から3月までは
これまたなつかしい筑前高等学校に勤務し、
4月に晴れて教諭として
嘉穂東高等学校に赴任し、
平成5年3月まで6年間勤務というのが、
太宰府に至るまでの私の経歴です。
すなわち、現在の嘉穂総合高等学校は、
私にとって通算5校目
新規採用後では3校目の学校ということになります。

私が生物の教師として
嘉穂東高等学校から転勤した時、
前任の生物の先生は、
修猷館時代の恩師だったのです。
定年退職された後釜が私でした。

今日、実に久しぶりに
その恩師ともお会いできました。
私が在学中、教官室に勉強を習いに行くと、
よく理科部会の仕事をなさってありました。
その先生は、当時理科部会の
特に生物科における中心的存在だったのです。
今、私が情報科部会の事務局長として
仕事をしている時に
思いがけずお会いできて、
幾多の困難にも立ち向かおうという
新たな勇気を頂けたように思っています。

修猷館・城南・筑前・嘉穂東
そして太宰府

それぞれに思いはありますが、
どこもまぎれもなく私の“母校”です。
ますますの発展を心から祈っています。

そして今、
嘉穂総合に迎えられて
早1年
“母校”と思わばこそ
どんなに忙しくても
学校の広告塔として
中学校に招かれたり、
こちらから訪ねたりして
どうか来て欲しいという思いを
生徒さんたちに伝えているのです。

修猷館の先輩でもある
太宰府高校の学校長が
本日の式辞の中で
これからわが国に求められるのは、
人と人
人と自然
人と万物
の間のオールマイティーな絆を作ることだと
述べられました。

一つひとつの出会いに感謝し、
つねに心をこめて
仕事に当たっていこうという
思いを新たにさせられた一日でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

伝統の継承

今日は、快晴とはいきませんでしたが、
幸い天気に恵まれて、
無事体育祭が出来ました。
風が爽やかで涼しい一日でした。

同じ施設を
嘉穂中央高校と
嘉穂総合高校が
共用している関係で、
体育祭も合同開催なのです。

体育祭における私の役割は、
放送係です。
嘉穂中央高校の先生から
機材のセッティングの方法等を
ぜひ引き継いで欲しいので、
一緒に作業をして覚えて欲しいと
頼まれていました。

アンプとスピーカーの設置方法や、
マイクの用意の仕方など、
一応頭に入れたつもりではありますが、
来年自分一人でやれと言われたら、
果たして今日のようにてきぱきとできるかどうか
自信がありません。

前任校では、
体育祭関係の仕事は、
準備段階が「人文字」のお世話、
当日が「ビデオ撮影」と、
ここ10年ぐらい同じ仕事ばかりをしてきました。

「人文字」に関しては、
私が制作したソフトウェアで
生徒たちが作業することもあり、
全4ブロックすべての指導を
一貫して行っていました。
生徒からの要望を受けて、
ソフトの方も毎年のように改訂を繰り返し、
より使いやすいものにしてきました。

今年もそのソフトを使って
「人文字」が作られました。
私が生み出した、
いわば子どものようなソフトが
作った人文字ですから、
どれもすべて“孫”みたいなものです。

前任校の太宰府高校は
近く20周年記念の式典が行われる
まだまだ新しい学校です。
一方で、学校の“伝統”と呼べる
確かなものを築きつつある、
とても勢いのある学校です。

私は、11年7ヶ月在籍しました。
赴任した年に、
以前から体育祭に係わってある
先生方から依頼を受け
「人文字」ソフトを作成しました。

その年からすぐに導入しましたので
20回の体育祭のうち
今年を入れて都合13回、
使われ続けてきたことになります。

生徒たちが、心を1つにして
創り挙げた数々の“孫”たちは、
体育祭の応援合戦に彩りを添え、
観客の目を楽しませられたでしょうか。

私の“孫”が作り出す
「人文字」が前任校の
“伝統”となって、受け継いで行かれるならば
愛してやまない学校に
少しは恩返しができたことになるでしょうか。

今春、前任校の兄弟校といってもよい
全く同じ年に生まれた学校に異動した同僚から
夏休みに、ソフトの提供と、
使用法の講習を頼まれ、
はるばる出向いていきました。

その後のことは、
聞かないままになっているのですが、
同じく創立20周年を迎える学校の
新たな歴史の一つとして
“孫”たちが生み出されたとすれば
これもまた嬉しいことです。

二校合同の体育祭は、
予定通り日程を消化していきました。
生徒たちの気迫が感じられる
綱取り、棒取り、そして綱引きといった
シーンが目に焼き付いています。

ひときわ、観客の目を釘付けにしたのは
やはり応援合戦でした。
応援団とブロックの生徒たちが
一体となって繰り広げる演技に
見ている私の胸も熱くなりました。

プログラムの最後に
「炭坑節」がありました。
3年生の生徒全員で踊るのです。
曲が現代的にアレンジされ
ポップなノリで踊る姿に
若者らしさを感じました。

「炭坑節」のふるさとは
同じ筑豊の田川伊田坑であることは、
初任校の嘉穂東高校で学びました。
「あんまり煙突が高いので、
さぞやお月さん煙たかろ」
と唄われた煙突は
今も田川の街を訪れると
目にすることが出来ます。
ここにもやはり
“伝統”が息づいていることを
感じさせられました。

閉会式で
両校の校歌斉唱がありました。
最初に嘉穂中央高校の校歌を
2,3年生がからだをそらせながら
力一杯歌う歌声が
秋の空に響きました。

続いて
嘉穂総合高校の校歌が
流れ始めました。
1年生だけで
人数的にも少ない上に
歌詞を十分に覚え切れていないのでしょう
嘉穂中央高校の時に
比べると元気がありません。

その時です。
嘉穂中央高校の“先輩”たちが
“後輩”をリードするように
嘉穂総合高校の校歌を
一緒になって歌ってくれ始めたのです。
私は思わず目頭が熱くなるのを感じました。

自分たちの母校が
あと1年半で歴史から
消えていく
嘉穂中央高校の生徒たちの心中は
いかばかりかと思います。
決しておだやかな気持ちだけではないでしょう。

自分たちが「体育祭」にかけた
この思いを
どうか“後輩”たちわかって欲しい
嘉穂総合高校に
嘉穂中央高校の“伝統”を
脈々と受け継いで欲しい
その願いは、きっと
“後輩”たちの胸に
しかととどいたことでしょう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)