パソコン・インターネット

マシン2台の復旧作業あれこれ

私は、自宅と勤務先(学校)に
自作のデスクトップパソコンを
全部で10台ぐらい
(台数もはっきりとは数えていません)
所有しています。

そのすべてを
いつも稼働させているわけではもちろんなく、
半数ぐらいは予備マシンです。
OSもWindows XP,2000server,windows2000,
Redhat Linux,Vine Linuxと多種多様です。

なぜ、そんなに台数が必要なのか?
時々尋ねられることがあります。
理由の一つは、ネットワーク管理者として、
さまざまな環境のコンピュータに
通じておく必要があるからです。
もう一つは役割に応じてマシンを変えるからです。
ソフトウェアのライセンスの関係で、
1つのソフトは、基本的に1台にしか
入れられませんので、
必然的に役割分担をすることになります。
ライセンスを問わない
フリーソフトも大いに活用しています。

先日、自宅のメインマシンと
サブマシン(ビデオ編集専用機)が
相次いで故障しました。
メインマシンの方は、
異音がして起動しなくなり、
電気関係のトラブルが生じているという
メッセージが表示されていましたが、
原因がはっきりとはわかりませんでした。
一方、サブマシンの方は、
明らかにハードディスクのトラブルです。
物理的に認識はしているのですが、
OSが認識されていませんので、
ハードディスクからのブートができません。

超多忙な毎日につき、
原因を調べたり、対策を立てたりする時間が
全くありませんでした。
結果的に自宅での仕事は、
本来は音楽関係専用マシンであるデスクトップと
本来はモバイル用途であるノートパソコンとで
やることになり、大変不自由していました。

昨日で仕事に一つ区切りがつき、
ようやく少し余裕もできましたので、
今日の午後から復旧作業にかかりました。
特に心配だったのが、
ビデオ編集マシンのハードディスクです。
バックアップを取らずじまい
(このこと自体が大きな反省点ですね)の
データがいくつもあったので、
何とかサルベージ(データ救出)したかったのです。

必要な物品を買うためにショップに行き、
サルベージ等のために
必要なものを買い揃えることにしました。

私のマシンのハードディスクは、
基本的にIDE規格(ATA100もしくは130)なのですが、
ビデオ編集マシンは、
速度が要求されることもあり、
SerialATAのハードを積んでいたのです。
IDEの内蔵ハードを外付化するツールは
以前から所有していたのですが、
SerialATAのそれは持たなかったので、
買う必要があったのです。
250GBのハードディスクですので、
サルベージするとなると、
同量のハードディスクを
用意しておく必要もあります。

実際に購入したものは、
メインマシン用には電源一個(440W仕様)、
サブマシン用には、
Century社の「これdo台HERO」という器具と
それのSerialATA用アダプタ、
および250GBのIDEハードディスク1台です。

「これdo台HERO」という器具は、
2台のハードディスクを接続して、
コンピュータなしにデータコピーができるという
優れもので、
なおかつデスクトップ用の
3.5inchハードディスクだけでなく、
ノート用の2.5inchにも対応しています。
もちろんコンピュータに接続して
外付化することもできるのです。

約2万円と結構高価なものではありましたが、
思い切って買いました。
「時は金なり」という諺を
つくづく実感するぐらい
毎日が少ない時間のやり繰りに追われていますので、
少しでも時間が節約できるなら
少々金額が張っても
そちらを選んでしまうのです。

異動して1年たって、
余計に感じるのですが、
やはり通勤だけで消えていく2時間半は痛いです。
もうそれで1日の残りが21時間半に
なってしまうのですから。

とにかく出張が多く、
毎週のように中学校の進路説明会等に
出向いていますし、出席すべき会議も多いのです。
突発的に頼み事をされることも
多々あります。

重要な仕事の前は、
必然的に睡眠時間を極力短くするしかありません。
昼食という言葉を忘れてしまうほど、
昼休みも仕事に追われる毎日です。
最近は、カンパンと水で済ませています。
まるで、戦時中の食事ですよね(笑)。
嘉穂総合に移って以来、
ある意味では
毎日が臨戦態勢なのかもしれません。
そんな状態を
どこかで楽しんでいる
自分がいるのだろうとも思います。

最近、よく人から「趣味は仕事でしょう?」と
尋ねられます。
以前の私でしたら真っ向から否定して、
「ちゃんと水泳という趣味がありますよ」
などと答えたと思うのですが、
最近は無言で苦笑いするだけです。

幸い健康状態はすこぶる良好ですし、
充実した日々を送っていますので、
精神的にも安定しています。
今は、新しく面識を得た方と名刺交換をしたり、
話をしたり、首尾良くいけば
お酒を酌み交わしたりして、
交流の輪を広げることが
楽しくて仕方がありません。

今日の午前中は、
8月に東京新宿山吹高校で行われた
全国専門学科情報科研究協議会で、
あるいは今回の九州大学主催の
情報処理研究集会で知り合った方々に、
自分がまとめたファイルを送る作業に
没頭していました。

情報科研究部会の役員も含め、
およそ30名ぐらいの方にお送りしたと思います。
さっそく返信をくださった方もいます。
特別セッションで講演をしてくださった先生から、
私の発表がパワーフルであった
との評価もいただきました。
大変ありがたく、またうれしく思いました。

ブログのタイトルにもしていますように、
一介の生物教師であった私が、
情報教育に関わるようになって、
人と人とのつながりということを
ものすごく考えるようになりましたし、
自分が働いた結果が、
わずかばかりとはいえ、
まわりの方々のお役に少しでも立てている
という実感もあります。
今は、本気で情報教育に
取り組もうと思っていますし、
やりがいも感じているところです。

話がそれました。

結果的に、メインマシンは
電源が主たる理由ではなかったようです。
当初、電源から発していると思った異音は、
すぐ近くにあったCPUファンが原因でした。
ほこりがものすごくつまっていたのです(笑)。

ファンを取り外して、
丁寧に掃除機で吸うと音が静まりました。
起動しなかった理由は、
CMOSバックアップ用のボタン電池の劣化でした。

それも疑ってはいたのですが、
電源も劣化していることは間違いないので、
替えたこと自体はよかったと思います。
Pentiu4のMiroATXですので、
440Wまではいらないと思いますが、
DVD-RAMドライブを
デュアルで装備したりもしていますし、
外付ハードディスクやMOドライブも
付けたりしますので、
電源に余裕があって
悪いことは一つもありません。

サブマシンの方は、
「これdo台」を使用して、
復旧したメインマシン上で、
現在まさにサルベージの真っ最中です。

以前購入して持っていた
Final Dataというソフトで、
今のところは極めて順調に
データが復元できています。

物理的な損傷はないようですので、
この後、フォーマットしなおせば、
再びビデオ編集用のハードディスクとして
稼働できるのではないでしょうか。

久しぶりに
マシンのメインテナンスをして、
私本来の自作魂が
ふつふつと蘇ってくるのを感じました(笑)。

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情報発信の怖さと“真価”の証明

すでにご存じの方も多いと思いますが、
本日付でウェブページのsanspo.comが
歴史的な大誤報をしてしまいました。
------------------------
プレーオフでは
第1ステージを戦わなかったソフトバンクが
まさかの3連敗で、リーグVをおとした(後略)
-------------------------
という記事を載せてしまったのです。
ようやく夕方になって
記事を消したらしいですが、
後の祭りというものです。
しっかりその事実は
たくさんのプロ野球ファンの手によって
記録されました。
おそらく、今後
他社のマスメディアにも糾弾されることでしょう。

ウェブに発信することは、
プロバイダと契約して
ホームページ作成ソフトを使えば
簡単にできます。
自分のホームページをもっている
小学生もなかりの数に上るそうですね。

私自身も
学校の公式ウェブ、研究会のウェブ
そしてこのブログと
インターネット上での発信に
大きく関わっています。

「真に教ふべくことありて‥」で
書きましたように
情報発信をする上では、
自分の書く内容に対して
その正しさと、意義の両面に対して
きちんと責任をもって行うことが
極めて重要であることを
改めて教えられるエピソードだと思います。

ここからは、少し私的な話になりますが、
ご容赦下さい。

今年度は、多忙を極めて
試合中継をラジオで聞くことすら
まれになりましたが、
私は生粋の野球ファンです。
幼少期から中・高校生にかけては
西鉄→太平洋→クラウンの熱烈なファンでした。

八百長事件があって
弱体化してしまった
西鉄ライオンズの時代に
親戚と一緒に平和台球場に
観戦しに行った幼い私に
ライオンズの選手が
ボールや折れたバットなどを
プレゼントしてくれたのです。

バットのあまりの大きさと重さに
びっくりし、
これを自在に振り回す
プロ野球の選手って
何て力が強いんだろうと思った記憶があります。
ファンに夢を与えてくれる
プロ野球ってすごいなと感じていました。

高校生の頃は、
弱く誰からもほとんど相手にされず
ファンも見放してしまった感があった
当時クラウンライター・ライオンズ
という名前に変わっていたチームを
必死で応援していました。

高校時代、水泳の練習が終わって
夕方暗くなってから
自転車で平和台球場にかけつけたものです。
たいていは、6,7回ぐらいまで
試合が進んでいることもあり、
外野席なら無料で入れました。
ガラガラの外野スタンドで
声をからして応援していた私でした。
当時の私の夢は、
将来自分が社会人になったら
年間指定席を購入して
ライオンズの試合を観戦することでした。

あれは忘れもしない
昭和54年、私が高校3年生の秋でした。
ライオンズが西武鉄道グループに身売りされ
本拠地を所沢に移転するという
衝撃的なニュースが流れました。
テレビの画面を前に
確かに私の目は画像を見、
耳は音声を聞いているのですが、
現実のこととは到底思えませんでした。

昭和54年は、エース東尾 修投手の
大車輪の活躍で、
このまま優勝できるのではないか
と信じたぐらい快進撃を続けた年でもあったのです。
確か、夏の終わりぐらいまでは
1位をキープしていたのではなかったでしょうか。
勝負所の9月、10月に
選手層の薄さをもろに露呈し、
残念ながら力尽きてしまいました。

しかしながら、ファンにとって
来年こそという夢を与えてくれた
シーズンでもあったのです。
当時の監督こそ
後に西武・ダイエーの黄金期を築く
根本陸夫さんその人でした。

身売りを現実のこととして受け止め、
愛してやまないライオンズとの
別れが目の前に迫っていることを
知った私は、
1週間ぐらい泣き暮らしました。
涙が涸れるのではと思うぐらい
泣きました。
それほど、ライオンズへの思いは深かったのです。

福岡から球団が去って10年、
その間、常勝チームとなり、
幾度も日本一に輝いたライオンズではありましたが、
強くなればなるほど、
失ったものの大きさを改めて知るばかりで
余計空しさが募りました。

稲尾さんの努力でロッテが‥という噂は
ありましたが、
まさに電撃的に南海ホークスが
ダイエーに身売りし、福岡を本拠地にするという
ニュースが報じられたのは、
昭和63年のことでした。

待ちに待った福岡の球団
しかし、当時いったんは
プロ野球から関心が薄れていた私にとって
西武ならまだしも南海の選手というのは
全くに近く知りませんでした。
地元に来たからといって
見知らぬ選手たちを
急に応援する気持ちにもなれないと言う私に
父は、「我が家は今日からダイエーば応援するとぞ」と
宣言しました。
その言葉に私も、
まずは選手の名前を一人ずつおぼえて
応援しようという気持ちになりました。
以来、16年一貫してホークスファンです。

福岡ドームが出来て
幾度となく通いました。
今ならよくある話でしょうが、
当時まだ弱かった時代であったにもかかわらず
私がドームに見に行った日は
幾年か越しで
何と7連勝を達成するという
自分しか知らない記録もできました。
今でもこの数字をおぼえているということは
おそらく8試合目で初めて
負けを見たということになるでしょうか。

あれは、忘れもしない
ダイエーホークス初優勝の年の
5月3日のことです。
私は、親戚筋からもらった
チケットをもって
福岡ドームに行きました。
バックネット裏での観戦です。
対戦相手は
当時まだイチロー、田口がともに
メンバーにいた頃の
オリックス・ブルーウェーブです。

先発ピッチャーは、
当時エースとなることを期待されていた
若田部投手でした。
素晴らしいピッチングを見せてくれました。
球筋を見て、
やはりこの人はドラフト会議で
10球団が競合したというだけあると
改めて思いました。
ストレートの力強さが大変印象的でした。

若田部が素晴らしいピッチングをし、
打線もつながって
9回表の時点で
確か7:2のスコアで
リードしていたのではないかと思います。

当時抑えは、移籍してきたばかりの
山田投手でした。
それまでの数試合、
安定した内容が光っていました。

あっさり1アウトを取り、
後2人になりました。
これまでいいピッチングをしながら
勝ち星に恵まれなかった若田部投手も
ようやく1勝目を手にすることができるなと
勝利を確信していました。
おそらく福岡ドームの中にいた
ホークスファンは全員
同じように思っていたでしょう。

しかし、悪夢は突然やってきました。
そこから、あれよあれよという間に
連打連打の荒らしが始まりました。

たまらず王監督が
山田投手から他のピッチャーに
替えましたが、
いったん相手にいった流れを
止めることはできませんでした。

おそらく、投手陣も
5点差1アウトになって
山田が投げているなら
今日はもらっただろう。
自分の出番はないなと思っていたのでしょう。
出るピッチャー、出るピッチャーみんな
普段の調子ではありませんでした。
つるべ打ちを食らいました。

結局、この回ホームランは1本もないのに
何と9点取られてしまったのです。
裏の攻撃で劣勢をはね返す力もなく
結局7:11のスコアで破れてしまったのです。
自分の目が信じられませんでした。
帰りバス、電車と
茫然自失になって
乗っていたことを思い出します。

私は思い知りました。
野球というスポーツは
絶対に試合終了の瞬間まで結果はわからない。
試合中なのに、勝ったと思ってしまった
まさにその時、大量点差があればあるほど、
逆に負けの足音が近づいてきているのだと。

ですから、今回のプレーオフ第3戦
おそらく誰もが敗退を確信していただろう
4点ビハインドの9回裏
私はけっしてあきらめていませんでした。

その時は、体育祭が終わり、残って一仕事をして
家に帰り着いてはいたのですが、
テレビは放送されていないものとあきらめて
ラジオを聴いていました。
アナウンサーが9回裏に入ってからの
ロッテベンチの浮かれた様子を
伝える声を耳にしながら
これはひょっとするとひょっとするかもしれないと
思い始めました。

結果、何が起こったかは
みなさんご存じの通りです。
もしかしたら
Sky PerfectTVでなら放映されているかもと思って
ウェブで調べてみると300チャンネルで
しっかりあっているではありませんか。
9回裏の怒濤の攻撃で、同点になるシーンと
次の10回表の馬原投手の
気合いの入った投球
そして、入団時から将来主力となることを
期待していた川崎選手のサヨナラタイムリーと
涙のヒーローインタービュー、
すべてこの目に焼き付けることが出来ました。

私が、生徒に贈る言葉として
よく用いるのが
ギリシアの哲学者エピクテトスの
「困難は人の真価を証明する機会である」
という言葉です。

昨年のプレーオフ
福岡市民にとって
実の子どもといってよいライオンズと
育ての子であるホークスとが
福岡ドームを舞台に
歴史に残る死闘を演じました。

ライオンズとホークス
両方を応援してきた
私のような人間にとって
特別な感慨を抱くプレーオフでした。
結果は、ポテンヒットで
一気に柴原選手が生還すれば
サヨナラ+優勝ということなったシーンでしたが、
3塁コーチが止め、
結果的に点が入らず、
ライオンズに点を奪われ涙を飲みました。

レギュラーシーズン130試合以上を戦って
2位に4.5ゲーム差を付けた結果の
プレーオフ敗戦です。
選手の今年に賭ける思いは
並大抵のものではなかったと思います。

果たして、今年もまたはかったように
2位に4.5ゲーム差を付け、
あわや3連敗でまたも敗退という
土壇場からの大逆転で
2勝2敗にしました。
五分のようですが、
実際は引き分けなら
レギュラー1位のホークスの優勝ですので、
若干優位に立っての明日の最終戦です。
きっとホークスの選手が
2年越しの思いを実らせ、
見事に“真価”を証明してくれると確信しています。

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高度情報通信社会におけるコミュニケーション

高度情報通信社会の到来により
昔は到底考えられない
コミュニケーションの在り方が実現しました。

去る8日に放送されました
私が出演した分の
「林田スマのおかあさんに万歳」
という番組内容を次の3つの方法で録音しました。

ラジカセ  → テープ録音
CDコンポ  → MD録音
ラジオ   → コンピュータ録音

仮にこのうち2つが失敗したとしても、
最低1つは残るだろうと思ってのことです。

結果的には3つすべてうまくいきました。
特にラジオからの録音は初めてでしたので、
一番心配した(同時に一番期待もした)
コンピュータのサウンドボードからの取り込みが
成功し、首尾良くディジタル録音することができました。

番組を、ネット上で知り合った友人たちが聴いてくれて、
温かい感想を寄せてくれました。
その友人たちとは、ネット上のサイトや
メール交換での交流のみで
いまだ直接お会いしたことはないのですが、
現在の状況だけから言えば、
古くから付き合いがある
高校時代や大学時代の友人たち以上に
頻繁にコミュニケーションをとっている間柄です。

先日、このブログの中で
情報収集において
真に有意な情報収集の土台として
「face to face」の価値を論じました。
一方で、前段としての
ネット上でのコミュニケーションは、
実際に会う際の味わいを増す
ということも事実だと思います。
反対に、新たな危険に巻き込まれる
原因になることもあります。

MD録音した分を
今回の旅行の際、運転しながら
繰り返し聴きました。
5分ほど早めに録音を開始したこともあり、
前の方にニュース番組が入っていました。
そのニュースの中身がまるで
私のためにセレクトしたのでは?
と思うくらい、
「生物教師の情報教育奮闘記」という
このブログのタイトルにぴったりの内容だったのです。

(1) 厚生労働省の研究班が、骨髄幹細胞の増殖に成功し、
  近く白血病患者の方に臨床試験を行う。

→つい先日、「真に教ふべくことありて」で
 紹介した先輩教師の命を奪ったのが、
 まさに白血病でした。
 また、「教育界の潮流にふれて」の中で
 取り上げた前任校の「ギネス太宰府」発案の際の
 校長先生も、実は白血病が原因で
 お亡くなりになられたのでした。
  この治療がうまくいき、
 病気で命を落とす方がいなくなれば
 これほど素晴らしいことはないと思います。

 免疫学は、私が専門とし、
 もっとも得意とする分野でもあります。

(2) 体長66cmもある
  特別天然記念物のオオサンショウウオが
  川崎市の道路上で捕獲された。
  ペットとして飼育していたものが逃げ出したか、
  あるいは捨てられたかしたものらしい。

→本来、私は生物の教師ですので、
 関係性は書くまでもないですね。

(3) 高校3年生の女子生徒を1週間自宅に監禁した
  無職の男性が現行犯逮捕された。
  男性は、一緒にいたことは認めたが、
  監禁の事実は否認している。
  2人は携帯メールで知り合った。

→バーチャルな世界の出来事である携帯メールと
 リアルな世界の出来事である「face to face」。
 この二つの狭間で、
 二人の思いに微妙な差があったのでしょう。
 一方は、“一緒にいただけ”ととらえ、
 また一方は、“監禁された”ととらえている。

 ネット世界の持つ危うさを
 端的に示す事件だと思います。
 昨日取り上げた警察署制作の防犯チラシにも
 携帯メールで知り合い、
 危険な目にあった例が山ほど紹介されていました。

バーチャルコミュニケーションは、
このように、使い方によって、
またとらえ方によって、
出会う際の味わいを増したり、
亀裂を生じさせたりします。
最初から、
犯罪目的で用いるケースも後を絶ちません。

生徒たちに、バーチャル世界での正しい生き方を
どのように身につけさせるか
これも、また情報教育に与えられた
1つの大きな課題でしょう。

私自身が現在考えているのは、
まず、訓練の場として
校内イントラネットのような
閉じられたバーチャル世界を用意し、
その中での、一人ひとりの在り方を
きちんと評価し、指導した上で
次の段階として
インターネットのような
本物の、開かれたバーチャル世界に送り出す
といった方法です。

嘉穂総合高校では、
デジタル・アーツ社の
「コミュニケーション・サーバ」を導入し、
閉じられたバーチャル世界を作り出すための
整備を行っています。

中学生が体験入学に訪れた際にも
メール・掲示板・チャットといった
バーチャル世界のコミュニケーションを
存分に味わってもらいます。

正直なところ、
内容にざっと目を通しただけでも、
そのままで、開かれたバーチャル世界に送り出すには
極めて危なっかしい印象があります。

「コミュニケーション・サーバ」には
メール・掲示板・チャットといった
グループウェア上における
言葉のフィルタリング機能もあります。
人権・同和部担当の先生に、
リストを作成していただき
差別用語等の使用は、認めないシステムになっています。

しかしながら、
そのリストも、もちろん、
すべての表現を網羅できているというわけではなく、
書かれた側が読むと、不愉快に感じるだろう表現が
使われているケースがあるのです。

本校では、携帯電話の所持は認め、
校内での使用を禁止しています。
同様の規則を定めている学校も増えてきているようです。

私が、プランを立てていますように、
まず学校において、
閉じられたバーチャル世界での訓練を行い、
その後、開かれたバーチャル世界である
インターネット上のコミュニケーションに
送り出したいと考えても、
生徒は、携帯メールや自宅のインターネットで
先にバーチャル世界を体験してしまいます。

インターネットを
運転免許と同じような
年齢制・免許制にするという研究を
待ったなしで進める必要があるのではないか
と真剣に考えている今日この頃です。

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DTPとフィルタリング

現在、私は通勤距離が片道約40kmあります。
したがいまして、
どうしても平日は夜遅く帰宅することが多く、
子どもと接する時間がありません。

それもあって、
最近、休日は基本的に家族サービスに努めています。
明日は、少し遠くの観光地を訪れる予定です。
それで、今晩から他県のホテルに泊まり込んでいます。

ということで、
先ほど夕食をファミリーレストランでとりました。
テーブルの上に置いてあるチラシがふと目にとまり、
手にとって眺めてみました。

それは、警察署が作ったらしい防犯チラシでした。
どうやら、DTPソフトを使ったものと思われ、
デザインがすごくよくできており、
必要な情報を的確に伝えるための工夫が
随所に凝らしてありました。

A4サイズの用紙を存分に使い切ってあって、
それでいて、ぎゅうぎゅう詰めというという印象もなく、
大変見やすいレイアウトでした。
見事でした。
これぞプロの仕事だと思い、感心しきりな私でした。

私は、ある段階から
生物の教材をワードプロセッサーで
作ることに限界を感じ、
DTPソフトを割と早い段階から使っていました。
もうかれこれ10年になるでしょうか。
DTPといえば、
定番はPagemakerですね。
私が使っているのは
「パーソナル編集長」というソフトです。

私は、基本的に国産ソフトを愛用しています。
ソフトウェアを作る際、
当然使用する際の目的や
ユーザーが置かれた環境を
十分考慮する必要があると思います。
外国で作られ、
全世界を相手に作られたソフトウェアが、
日本人のユーザーを
特別に意識したものにはなり得ないでしょう。

ワードプロセッサーや、
フロントエンドプロセッサー(漢字変換ソフト)、
それにメールソフト(メールリーダ)のように
文章作成が中心となるソフトウェアの場合、
特にその度合いが大きいように思います。
正直なところ、この手の分野で
外国産のソフトウェアを使うと
フィーリングが合わず、辟易します。

「パーソナル編集長」は、VACSという
フロントエンドプロセッサーのVje-βで
有名な会社が作った
生粋の国産ソフトです。
使えば使うほど手になじむ一押しのソフトですね。
今年になって、販売会社が
筆まめで有名なクレオさんに替わりましたので、
案外これからメジャーなソフトの仲間入りを
果たすということもあるかもしれませんね。

私は、このソフトを使って
これまでに理科や情報の教材と考査問題
および「学校新聞」、「クラス通信」といった
写真や絵が入る文書を数多く作ってきました。
しかしながら、
専門的にデザインの勉強をしたということもなく、
言うまでもなく、新聞作りに関してもずぶの素人です。

インターネットが今ほど普及しておらず
ネットワークの中心がパソコン通信であった時代、
Nifty-serveのフォーラムが主な情報源でした。
「パーソナル編集長」の会議室で
参加者のみなさんが書かれた内容を
きちんとレイアウトして印刷・製本し
繰り返し繰り返し読んで、
テクニックを学んだ記憶があります。
仲間の方のご厚意で、
見本誌を送っていただいたこともありました。

今年度、PTA広報委員会副委員長を務めていることもあり、
5月に「PTA新聞講習会」という
研修を受ける機会に恵まれました。
新聞記者の方お二方が講師として話をされました。
例によって、名刺を持ってご挨拶に伺い
面識をもつことができました。

そのうちのお一方に、学校で作っている新聞を
公式ウェブページでpdfファイルとして
公開していますという話をしたこともあり、
早速その日のうちに目を通してくださり、
講評をメールで送ってくださいました。
その内容を引用させていただきます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

早速PDF1~3号拝見しました。
もう研修は必要ないレベルに達している
というのが正直な感想です。
レイアウトから見出し、
色使い、表、地図とも十分だと思います。
ただ、折角ですから、いくつか感想を。

まず、このPDF新聞を
どのように活用するかということです。
パソコン画面で見てもらうならば、
もう少し余裕のあるつくりにしたほうがいいと思います。
ごちゃついた感じで、読み進むのに苦労します。
一方、印刷して配布する新聞としては
インパクトに欠けるように思います。

全体としてまとまっているが、
「伝える」という点から見ると中途半端なように思います。

原稿は、まだこなれていないようです。
試行錯誤の段階でしょうから多くはいいませんが、
高校の広報紙といえども、
お役所の文書のような書き方、言葉遣いは感心しません。

活字も、明朝、ゴチックなど織り交ぜ、
記事によって大きさを変えています。
うまくはまると効果的ですが、
失敗するとかえって逆効果になります。
できるだけ統一性をもたせてはどうでしょう。
正攻法が一番ということも往々にしてあります。

紙面内容は、これからが本番だと思います。
特色のある学校の特色のある記事が生まれ、
充実した新聞になることを期待しています。

お役に当てる事があればお手伝いしたいと思います。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

このメールをいただいた時、
少し大げさですが、涙が出るほど嬉しかったのです。
初めて自分の創ったレイアウトや記事の内容を
プロの方が見て、講評をしてくださったのですから。
指摘された箇所に気をつけながら、
第4号を編集しました。
よろしければ見比べてくださればと思います。

警察署のチラシで
もう一つ、得をしたと思ったことがあります。
さまざまな防犯呼びかけの最後に
家庭で、子どもに
インターネットを利用させる際に
親として、きちんとフィルタリングを
かけて欲しいという内容でした。

先日、私の家でも小学生の子どもが
ネットサーフィンの最中に
知らず知らず、不適切なページにつながったらしく
履歴を見て、妻が騒いでいました。

以前から必要性を感じながら
忙しさを理由に
ついつい後回しにしていたことを反省し、
とりあえず、学校で導入している
デジタル・アーツ社の
「i-フィルター」というソフトの
体験版を入れました。
使用期限が切れるまでの間に、
正式に購入するかどうかを
判断しようと思ったのです。

今日のチラシに
家庭におけるフィルタリングソフトの情報を
提供しているサイトのURLが記載されていました。
しっかりメモを取ってきましたので、
ここにリンクを貼らせていただきます。
同じような悩みをもってある読者の方にも
きっと役立つのではないかと思います。

「情報」の授業を担当したり、
学校の教育情報化の仕事に携わったり
するようになって
目にするもの、耳に入るものすべてに
ぴーんとアンテナを張り、
入ってくる情報に敏感になったように感じます。

もし、以前のように単に生物教師のままだったら
今日のチラシも大して気に留めることもなく
持てる価値を見逃してしまってしまったことでしょう。

見る・聞く・嗅ぐ・味わう・さわるといった
いわゆる五官に関しては、
フィルタリングをきっぱり取り去って
広く受け入れる姿勢を持つことが
情報教育に携わる私たちには、
極めて大切なことだと改めて思います。

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