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情報教育・情報処理教育・メディア教育

今日は、体育祭の代休でした。
午後から、福岡市内のある大学を
訪問させていただき、
いろいろと教えを請いました。

併せて、来月4,5日に
九州大学で開催される
情報処理教育研究集会の
昨年度名古屋大学の分の論文集を
拝見させていただきながら様子を伺いました。
論文集は、厚さが7,8cmはあろうかという
すごいボリュームで、一目見ただけで
内容的にも極めて充実しているという
印象を受けました。

私も今回発表することになっている
特別セッション関係の論文は、
冊子の一番前に載っていました。
量的にはJADIE(日本情報教育開発協議会)の
全国大会の論文集に寄稿した分と同じく
4ページ書かなくてはいけないことが
わかったというだけでも大きな収穫でした。

ところで、今回九州大学で行われるのは、
「情報処理教育」の大会です。
6月に行われたJADIEは、
先ほども書きましたように
「情報教育」開発協議会です。
ほかにも関連した教育内容として
「メディア教育」というものもあります。

私は、平成15年度に
教科「情報」が始まって以来
何の疑問を抱くこともなく
高校現場で教科「情報」に関わり
仲間と情報交換を行ったり、
自分で教材研究をして、
授業を実施したりしてきたように思います。

その頃は、まったく見知らぬ世界であった
大学での研究内容や高等学校の商業科で
行われてきた教育内容等を
この半年ぐらいで、随分と見聞きし、
だんだん自分の中で
「情報教育」
「情報処理教育」
「メディア教育」
といった「情報」に関わる
種々の教育内容の区別がつかなくなってくるといった
少々大げさですが、一種のカオス状態に
陥りつつあるのを感じます。

例によって、Jammingを使って
調べてみましたが、どれも出てきません。
すなわち、
世界大百科事典、日本大百科全書、広辞苑といった
そうそうたる顔ぶれの事典・辞書が
いずれの教育内容も定義していないということなのです。

それなら、Encartaは?と思って
こちらも調べてみましたが、
関連事項として大学の教育内容等は
出てくるのですが
肝心の定義そのものはやはり載っていません。

実に不思議な感じがします。
私たち、教育現場の人間は
定義すらも曖昧な
「情報教育」「情報処理教育」「メディア教育」
といった教育に携わっていることになるのでしょうか。

「情報教育」に関しては
○情報活用能力
○情報の科学的理解
○情報社会に参画する態度
という例の3つの目標がありますから、
これを達成する教育であると定義できなくもないですが、
それでは、残りの2つの教育に
これらの教育目標は必要ないのか?と考えますと
決してそうではないと思ったりもします。

歴史的な流れからいきますと、
「情報処理教育」は商業教育の流れ
「メディア教育」は視聴覚教育の流れ
ということになるのでしょう。
非常におおざっぱなとらえ方をすると
 「情報教育」
=「情報処理教育」+「メディア教育」
となるのでしょうか?

その他にも
「教育工学」という分野があったりもして
調べれば調べるほど
分類そのものが意味をなさなくなるようにも
感じています。

今、私たち教育に携わる者に求められるのは
小異を捨て、大同して
高度情報通信社会の中で
たくましくかつ正しく生き抜く
児童・生徒を育成することでしょう。
そういった意味で、
11月5日(土)に
九州大学工学部防音教室103を会場に
15:10より行われます
平成17年度情報処理教育研究集会
特別セッション2
「初等中等教育における情報教育と高等教育への接続」は、
大きな意味をもつイベントになりそうですね。

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